こんにちは!
テトルの本村拓人です!
今回は島興しプロジェクトの発起人、尾野寛明氏のインタビューをお送りいたします。
現役大学院生でもありながら次々にプロジェクトを企画し、成立させていく尾野氏。若くして会社を興し、社会の本質を見ぬこうとした尾野氏の行動の根源は「楽しさ」。いたってシンプルだ。
「社会に不平不満があって、行動をしているんじゃない」重要なのはそのプロジェクトがおもしろいかどうか。氏はそうきっぱりと言い切ってくれた。
起業されたのが19歳ですよね? 高校生から起業の準備をされていたんですか?
先日開成高校のOB会に参加したんですが、彼らは高校時代から学生同士で活動するようなネットワークに参加していたと聞きました。僕も高校時代にそういったネットワークを知っていたらどれだけ違っただろうと思いましたが、当時は今の自分なんて想像もしていませんし、『起業』もあまり意識していませんでした。高校時代はバスケ部に所属していたのもあって、バスケに明け暮れていました。
起業家になりたいと思い始めたのはいつ頃からですか?
TVでベンチャー企業の特集を見て、将来そうゆう世界に入れたらいいな、とただ漠然と。自分が起業することは別として、そうゆう世界にいたいなという感覚はもっていました。ただ、一番大きかったのは高校3年生の大学受験の頃に父が亡くなった。それから自立心が加速していったんだと思います。大学に入学してからその反骨精神みたいな気持ちと、「自分の力で生きてやる」という感情がさらに強くなりました。
人と出会える機会がないと今でもよく聞くんですが、そんなこともなくて、結構みんな勝手にいろんな人と出会っているんです。ただ、その中で人との出会いを自分のチャンスにするかどうかは自分次第です。僕もETICの方々や他の力をもった人たちとのパイプを築けたのも、人と繋がりを意識していたからだと思います。
5、10分話すと、その人がどんな人なのかってわかるじゃないですか? そこで、お互い「この人おもしろいな」と化学反応がおきる可能性があれば自然と魅力を感じるんです。
エコカレッジを始めた「きっかけ」とはなんですか?
2001年の7月くらいから構想をあたためていました。問題は大学の教科書が高いということだったので、教科書をリサイクルして販売するというビジネスプランを具現化していきました。当時同じような構想でビジネスを起こしていた人はたくさんいました。みなさん掲示板を作って需要と供給をマッチングさせたビジネスをやられていたんですね。
ただ、僕は同じような戦略でビジネスをするつもりはなかった。結局商売ですから、モノを仕入れて売るということをしっかりやったらうまくいくのでは? と当時考えていました。その視点ではじめたのがエコカレッジというわけです。その後2002年の秋にETICさん主催の社会起業家コンテンスト『Style 2002』に参加することになったんです。
ETICの社会起業家コンテストに参加して感じたメリットとは?
やはり、仲間ですね。社会企業や、起業を考える人たちってコミュニティから孤立する傾向があったりするので、周りに同じようなビジョンや考えを持っている仲間と出会えたのは大きかった。特に精神面でETICで出会った仲間たちの存在は大きな影響となりました。
となると、やはりETICでの体験が尾野さんのもともとの構想を加速させたということになりますか?
そうですね。ただ、もし僕がETIC主催の社会起業家コンテストに参加していなくてもエコカレッジは遅かれ、早かれ立ち上げていたでしょうね。
さて、そんな尾野さんですが、古本ビジネスを展開される上で、自らBookOffでインターン生として働いたご経験をお持ちですね。インターンの成約を獲得した方法がこれまたかなり無謀だと聞いていますが?
当時、同じ一橋大学の有薗さんという先輩がBookOffの店長をやられていました。ある時大学のコミュニティの会合に参加をしてみると、そこでたまたま有薗さんに出会いました。話しを聞いていると「うわぁーこの人はすげぇー」という感じが彼に対する第一印象でした。
「なんだこの人は?」 みたいな人っているじゃないですか?彼にその感覚を持ちました。当時BookOffにインターン制度はなかったんですね。ただ、僕はどうしても働きたかったので当時の社長に直談判して「明日から働きます」って宣言し、許可を得ました。
当時の社長、つまり、現在の坂本会長に直談判を迫られたと?
はい(笑)創業者がその会合に運よく参加されていたので、直接「働きたい」という意思を伝えました。勿論答えはYES。有薗さんの店舗も当時インターン制度はありませんから、「坂本社長に許可を取ったので明日から働きます」こんな感じで話を進めました。だって、許可は得てるわけですからね。
翌日からレジに立って働き始めたと?
そうですね。半年くらい続けました。2001年の秋頃ですね。まさにエコカレッジの構想と共にBookOffでの「修行」を始めたことになります。
その後まもなく、経営が安定してからインドに行かれましたよね?何が尾野さんをインドへ向かわせたのですか?
そうですね、ちょうどビジネスに対する自信がついてきたことと、経営面でいえば、例えば、Amazonでの売上げも安定してきたことも手伝って経営は非常に安定していました。「せどり」って知ってますか? BookOffの100円棚から本をあさって1000円くらいで転売するという手法が僕たちのビジネスモデルだったんです。
今となっては携帯で情報を検索して、モノ売るなんていうのは世間一般ですが、僕たちはしっかりとモノを仕入れて、商材を販売していたので、そこがビジネスが拡大した大きな理由だと思います。実はこれが裏側だったんですね。仕入れと販売が整ってきたので僕の中でビジネスに対する「飽き」がきてしまったんです。また、商売のことに頭を使いすぎて嫌になってきた頃でもありました。「まぁ俺ちょっと海外に逃亡します」と組織の人間に告げたんです。勝手でしょ?(笑)
仲間の反応はどうでしたか?
当時、大学の地下倉庫を借りてビジネスをしていました。仲間は常に6〜7人はいましたね。延べ100人くらいはエコカレッジに参加したことになります。そこで、僕がやっていた社長職を後輩に譲ることにしました。ただ、当時はまだまだ仕事の振り方も下手くそだったから自分が全ての仕事をやってしまうんですね。日本国内のどこかに僕がいると結局仕事をしてしまう。そこで、仕事ができない場所に逃亡しようと考えたことがインドへ行く大きなきっかけとなりました。
何故インドなんですか?
直感ですね。海外インターンを斡旋しているアイセックさんにもお世話になったのですが、当時はイタリアかインドかで最終的にインド行きを決断しました。
だから、一番の荒治療は自分がいなくなることだと思ったのも、インドに行くきっかけとなりました。そもそも、当時(2003年)仕事の忙しさのあまり、大学を辞めようとまで思っていました。結局休学することに落ち着きましたけどね。
インドのどちらに行かれたのですか?
ムンバイという都市から車で3時間くらいのプネという高原都市です。バンガロールとプネというのはインドの中でも2大IT都市で、バンガロールは主に欧米向けで、プネは実は日本向けのIT都市なんですね。そこで仕事をしていました。普通にITサラリーマンをしていました。
一日どれくらい働かれていたんですか?
8時間ですね。業務はいたって単純で、出社してから毎日Googleとにらめっこ。〇〇@co.jpとかを探して、日本のスパムメールのアドレスを一日5000件くらい永遠とリサーチしていました。本当に現場仕事でしたね。3ヶ月くらいでもうこれは無理だと判断して辞めたのですが、でもそうゆう仕事が成り立つんだという事実を知れたのは十分お土産になりました。
後悔は全くありませんか?
苦労はしましたけど、結果的にはよい経験だったと感じています。ただ、ストレスは半端じゃなかった。同時に、極論かもしれませんが、一生サラリーマンはやらないという決心をしたのがこのインドで過ごした時。丁度僕が21歳のときです。
他国で文化も宗教も言語も違う人たちと仕事を行ったことも大きな経験になったのでは?
一言でいうと、「大変だった」ということに尽きます。働くペースにしても、納品の期限なんていうのも適当ですからね。毎日イライラしていた自分も案外客観的に見ると納得できるわけですが、インドで日本向けのIT関連のビジネスをする経験なんて稀なわけで、貴重な経験になりました。エクセルの技術なんかもインド人仕込みですからね、今の古本屋業界でもかなり役立っています。エクセルで僕の仕事を横で見ていると「あなたの仕事を見ていると目が回りそう」なんてよくいわれます。
ルームメイトであるポルトガル人、ドイツ人、イタリア人、中国人、ウクライナ人と生活していた経験もやはり活きています。アイセックは世界のエリートを寄せ集めていますから、そういう人間と出会えたのはおもしろかった。夜な夜なみんなで騒いだりもしました。「こいつらが本当に世界のエリートなのか?」と目を疑わんばかりの暴れようでしたからね。
帰国後、『地域活性化』の方へ興味がシフトしていったのは何故ですか?
帰国後まずは、エコカレッジの代表としてしばらく活動しました。2004年、当時大学3年生で僕が復学したと同時に関満博ゼミに参加します。当初はまさか島根県を舞台にした地域活性化なんかに自分が参加するとは夢にも思っていませんでした。
関ゼミに入られた理由とは?
卒業論文がないから入ったというのが本音です。要するに楽だろうと。ゼミなんかそもそも出る気はなかった、ただ、いざ蓋を開けてみると「なんかおもしろい」という感情を抱くようになり、当初から製造業にかかわりを持つようになったり、島根県に行くようになったり、とまたちょっと違った目標ができたことで「もう社長は後輩に任せようと」という思いが強くなりました。また、自分がインドに行っていた経験がそこで活かされて仲間も自分達でできるということはわかっていたから理解はしてくれました。
昔出会った仲間、例えば、村田早耶香氏(NPO法人かものはし代表)など、ETICなどを通して出会った仲間なんかが『地域活性化』をテーマにいろいろ動いていた。また、岐阜の秋山君なんかも既に地域活性に立ち上がっていた。彼とも2001年くらいから顔見知りだったわけですから、まさかその分野に自分がどっぷりつかるとは思ってもみなかったわけです。
ただ、地域活性化にのめり込んでいく理由っていたってシンプルで「おもしろそう」だからなんです。そんな意識で、いざ地域の過疎の実態を知っていくといろんな問題が見えてくる。それを解決したときの事を考えたり、妄想はどんどん膨らむんわけです。
また、都市で活動することの限界を感じていたのも事実です。曙商事が昔から言っていたことなんですが、「東京で埋もれるくらいだったら岐阜で叫んだほうが目立つ」という概念です。だから、東京で中小企業の社長をやるんだったら島根県や過疎地域などの最前線に立って、そこで何か仕事をしたほうがより自分が求める価値と合致すると感じたんです。
しばらく地域活性の仕事等々に励み、そのうち島根県の海士という島に出会い、『海士ワゴン』というプロジェクトを発案しました。それで『海士ワゴン』を企画・運営していく過程の中で、川本町という島根県の別の場所で『ちちバス』というプロジェクトを開始するわけです。
また、町に唯一残っていた本屋が2005年に閉店してしまい、町に本屋さんがないという問題に直面しました。これを何とか復活させてたいという気持ちが芽生え、その時にちょうど古本ビジネスをしていたことと、東京で在庫が圧迫していて困っているということを僕が口走った瞬間に関係者の方が「あー」と、それこそ何か閃いたといわんばかりに僕は強引にも彼らの本屋再建プロジェクトに参加していくわけです。(笑)
その後2ヶ月で東京にあった古本の在庫を全て松山町に移しました。要するに松山町に本屋を復活させたわけです。今年の10月で2年目にはいります。まだまだ課題は山積みですが、東京で学生を中心に古本屋を回していくという事に多少限界を感じていたのも事実です。東京の方では社長も4代目まで続きはしたものの、その経営と組織統制には問題を感じていました。
限界とは?
ゼロベースから自分たちのOfficeができ、倉庫ができ、会社を設立するといった新鮮さが設立当初はありました。事業が軌道に乗りはじめると、それと反比例して当社あった学生を惹きつける魅力がなくなっていったわけです。学生を軸にした組織の限界点を見たいという感じですね。最終的に学生で運営する手法はやめようと決断しました。現在ではプロの大人が経営・業務に当たっています。ビジネスのスタイルもネット上から再度店舗販売に変わりました。勿論、ネットでも販売は継続的に行っています。
尾野氏のインタビュー前編は以上になります。
次号は後編をお送りします!
「移動の概念を無料にしてしまいたい」このビジョンを掲げた尾野氏が目指す次なるイノベーションとは?
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有限会社エコカレッジ
代表取締役社長
尾野寛明 Ono Hiroaki
2001年、一橋大学商学部入学、初期衝動に魅せられてとある古本屋が走り出す。
専門書しか扱わない、店舗を持たないネットの古本屋。当時はボロ車で大学の前で警備員と格闘し、時には当局に捕まる怪しいゲリラ商売の古本屋。
2002年、日本初の社会起業家コンテスト、STYLE2002で優秀賞を受賞。有限会社エコカレッジ創業。
2003年、大学休学。会社を仲間に任せ半年間のインドのIT企業でのインターン。
2004年、社長復帰。
秋になり、社長を後輩に譲る。いろんなつながりで、島根と東京を往復する生活が始まる。
2005年、島根県斐川町の産業支援NPOでアドバイザーとして任命され、島根大学と連携した、地元製造業や地元の温泉経営の支援に携わる。
古本屋は一年で社長が交代する。三代目社長が誕生。同寺に代表取締役会長に就任。
2006年、学部を卒業。一橋大学院商学研究科修士課程へ。師匠は地域産業開発論の関満博氏である。活動のフィールドを島根県全体へ。古本屋は4代目社長に引き継がれる。
詳しくは→
【有限会社エコカレッジ】http://eco-college.com/index.html
本村拓人(もとむら たくと)
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『地方圏の産業振興と中山間地域―希望の島根モデル・総合研究』
人口減少、高齢化・過疎化、中山間・離島、公共事業依存型経済など幾多の条件不利を乗りこえ果敢な挑戦を続ける島根県の取り組みを徹底報告。共通の難問を抱える全国の“地域”におくる“希望の島根モデル”。

