こんにちは!!

テトルの本村拓人です! !

本号も引き続き渋谷区議会議員、長谷部健氏のインタビューをお送り致します。

プロジェクト成功の鍵は資金調達の術にかかってくる。美竹公園(通称:ジョーダンコート)はNikeからの協賛によって実現した企画だ。一点突破出来なかったらまずはあらゆる方向からトライしプロジェクトを実現させる。ついにはあのマイケル・ジョーダンを招くほどのプロジェクトに発展した。

「運が良い」と片づけるにはなんだかもったいない気がする。長谷部氏のプロデュース力が功を奏したに違いない。

「渋谷が変われば日本が変わる」というキーワードを明確にして、実際選挙で当選されている。本当に数々のプロジェクトをやられていて、どれもまずできることからやる。そして最終的なビジョンとしては渋谷がきれいになれば、渋谷がよくなれば、という理念はかわらないんですね。その中でも特にこだわりをもっているのはなんですか?

いま一番取り組んでいるのは環境のことだね。最初の四年間はなかなかそれが進まなくてさ。環境のことはビジネスにならないとかさ。それって行政が言う話じゃないと思うんだけどさ。そこには経済性を求めちゃいけないと思うんだよね。

環境は全部に関わる話だし、「そろそろやばい」ってたくさんの人が思っている。だからそこに答えることをしなければいけない。最近やっと世間の重い腰があがってきたというか、5年前よりも世論は強くなってきている。だから今はチャンスだと思って色々と推し進めているけどね。

みなさん本当に環境に対して興味を持っている。その中で長谷部さんが区議会議員として根本的、具体的にどのように変えていくのか、お考えをお聞かせください。

解決策って「これ!」っていうのは無いと思う。1個の解答、西洋的な外科手術ではだめだと思うのね。東洋的に色々な秘孔を同時についていくっていうかさ。二十世紀の100年で大きく壊れたものが、1,2年で治るはずが無いでしょ。

環境の問題ってすべてに関係しているから。だからすべての部分で何かできるわけ。教育の部分でできることもあるし、教育の中でも図工の先生ができる事と算数の先生とできる事は違うかもしれない。それぞれができることがある。工事の時にできることもあれば、全部多岐に渡るんだよね。多岐でやらなきゃいけないと思っている。

だからそのプロジェクト、ロハスみたいなキャンペーンにして傘をつくって、その中にいくつも政策をつくっていく。船があればいくらでも乗せられる。それがいっぱいになったらまた違う船を作ればいい。あるいは大きな船をつくればいいと思うんだよね。だから、みんなが気付く、分かりやすい、やらなきゃいけないと思うスイッチをまずたくさんつくる。たとえば、バス一台を天ぷら油で走らせたとしても何も大きくは変わらない。だけど、そういうことを繰り返し続けていると、何もしていない人の中で環境のことを何かしなきゃいけないんだってドキドキする人がでてくると思うんだよ。

長谷部さんが仕掛けたジョーダンコートのお話をお聞かせ下さい。

ジョーダンコートは直接区長とやったんだ。僕が一期目でやっていたのは、大体が区長に直接プレゼンして許可をもらっていた。今考えるとあれも大変だった。

最初ジョーダンコートなんてアイディアはなくて、ナイキが履き潰されたスニーカーを再利用してバスケットコートとか陸上のトラックを作っていることだけは聞いていたのね。それで渋谷の中心にある公園が児童公園である必要がないというのは思っていた。

公園というと砂場、滑り台、ジャングルジムとか全部同じモノしかないよね。行政のよくないところは、そういうのさえあれば児童公園だと言っている。でもこれはおかしくて、その土地によってニーズは違うはず。例えばオフィス街にあるところの公園は全部芝生にして、お昼ご飯はゴロンと寝転がりながら、お弁当食べれたり出来たらいいじゃんって思う。

あるいはその場所に若者が大勢くるんだったら、恋人たちが寄り添うための公園をつくってもいいじゃんとかさ。そういうニーズによって公園だって千差万別であるべきだと思うんだけど、今はそうじゃない。だからそこを変えようと思ったときに、多分税金を使って作ろうとなったら結構大変だよね。じゃあ、「税金じゃない金でやろうぜ」と考えて、ナイキに「渋谷の真ん中にナイキがバスケットコート作ったらカッコよくないですか?」ってノリで言ったら、「いいねー!」ってなったのよ。

それで俺が最初に言ったのは田伏勇太ってナイキの契約選手が当時NBAを目指していて、日本人だし彼がナイキのサポートでバスケットコートを寄贈すると。それで渋谷の子どもたちが彼のようにNBAを目指すという風にできたらいいよねって思った。

それがさらにリサイクルのコートで、同時に環境意識も育めるっていうのを提案しようと思って、ナイキの担当社に「田伏くんがOKかちょっと聞いてみてよ」って聞いたのね。そしたら「いやいやいや、四ヶ月後に田伏じゃなくてマイケル・ジョーダン来るんですけど、それでどうですか?」って言われた。(笑)

でも、これもやっぱり走りながら考えてて。決して全部自分一人で考えていない。僕は本当にラッキーマンだと思う。でもこうやってアンテナ張って色々な人と話していくからこういうことが生まれてくるのは事実だね。

 

 


長谷部氏のインタビュー(第四号)は以上になります。

次号も引き続き長谷部健氏のインタビューをお送り致します。

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Profile
Interviewie photo

渋谷区議会議員

NPOグリーンバード代表

長谷部 健 hasebe ken

1972年
東京都渋谷区生まれ
1973年
1歳で青空保育「おひさまの会」に入る やんちゃし放題。日々、全裸で代々木公園を走り回る
1976年
短髪好きの祖母のお蔭で坊主頭人生のスタート
1978年
渋谷区立神宮前小学校に入学。6年間無欠席の皆勤賞。皆勤賞欲しさに風疹のまま登校し、 クラスメイト中に 風疹を伝染させ、自分は日曜日にしっかり寝て治す
1984年
渋谷区立原宿中学校に入学。バレーボール部に入り、東京の一部に名を轟かす
1987年
佼成学園高等学校に入学 高校にバレー部がなく、野球部に入部するがすぐに辞め、柔道部に転部し、黒帯を取得
1992年
専修大学商学部に入学オージーボールを始め、日本代表として海外遠征を経験
1996年
株式会社博報堂に入社 自分なりにバリバリ働く
2002年
株式会社博報堂を退職
2003年
NPO「green bird」を設立 渋谷区議会議員選挙当選 現在に至る

詳しくは→ 

【ハセベケン事務所ホームページ】http://www.hasebeken.net/

【NPO グリーンバード】http://greenbird.jp/

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シブヤを変えた男、ハセベケン。32歳で大手広告代理店をやめ、渋谷区議会議員にトップ当選! 
表参道をそうじするNPOグリーンバードの活動を基盤に、シブヤにジョーダンコートや子供の冒険遊び場、新デザインの灰皿その他を導入。スワローズやヴェルディとの提携を進め、地域通貨導入にアタックするなど、全く新しい形の政治家として活躍中。
そんなハセベケンという熱い男の生い立ち、NPOの活動の仕方、区会議員のなり方、そしてシブヤのミライを展望するビジョンと、1972年生まれ世代のもう一人のカリスマのすべてを語る一冊。イラストレーション・装丁は寄藤文平。