こんにちは!!

テトルの本村拓人です! !

本号も引き続き渋谷区議会議員、長谷部健氏のインタビューをお送り致します。

社会にはそれぞれ役割がある。ビジョンを語り、人々を目的地に牽引するリーダー。それをサポートするコンサルタント、分析家、マーケター、法律家、税理士、医者、・・・

自分の役割を客観的に知った時に自ずと自分の強みを発見することがある。こと、長谷部氏の役割とはプレゼンテーターであり、強みは関係者と合意形成を取りながらプロジェクトを前進させる力だという。

『Room to Read』 を牽引する元マイクロソフトのジョン・ウッド氏も著書の中で「週に一度でも、月に一度でもよい、出来ない理由を探すのではなく、どうすればできるかという考え方で、自分の役割と強みを活用したスペシャリストが一時的にソーシャルマーケットに 参加する姿勢が社会を変える」と語っていた。

そんな中、我が国日本でも大きな動きがあったのを皆様はご存じであろうか?あの金融のスペシャリスト、村上世彰氏が寄付市場を活性化させるべく、そのプラットフォーム作りに20億円もの寄付を表明した。事の真相はさておき、この大きな動きに既存の非営利セクターのプレイヤーがどのように反応するかは注目に値する。

ソーシャルマーケットの認識度も、それに対する社会の反応も高まりつつある。一次的なブームで終わるのか、サステナブルナに発展することの出来る『業界・産業』にこのソーシャルマーケットを発展させられるか否か、読者の皆様にも是非注目して頂きたい。

長谷部さんは発想とかがすごい斬新でオシャレだと思うんですね。ただ、疑問に思ったのが、行政の中で企画を進める時に、それが行政の人達には伝わりにくかったりしますよね?

ある。だから最初は区長直々に通してもらった。最初周りは僕のことよく知らないからさ。だから最初にうまく区長がのってくれたことがデカイよね。そのなかで次第に存在感がでてくる。元々僕はトップ当選で議員になっているわけだから存在感があるわけですよ。あいつ何者だろうとか、うまくそういう注目を浴びれたのが大きい。

変わってないんですね。博報堂の時から、自分のスタンスや働き方もずっと一貫しているんですね。

博報堂で学んだスキルがやっぱりすごく役に立っている。博報堂を辞めるときに自分が身につけたスキルって何かな?と考えたときに、人を説得することだと思ってた。でもそうじゃなかった。

それよりも後々わかったのは、合意形成をつくりながら物事を前に進めていくことだった。よく考えたらプレゼンとか得意だし、負けたことも無かった。

でもいろんなスタッフがいて彼らの力を合わせて説得すると当然勝てるわけで。ようするに、そこまでもってくことのほうが実は大変。社内をまとめることの方が面倒臭いわけよ。「マーケティングの人はああ言う、コピーライターはこう言う…」みたいにね。

私たちみたいな長谷部さんからしたらよくわからない人間とも会ってくれる。長谷部さんはかなり有名にも関わらず、気軽に会っていただける。

僕、別にそんな偉くも有名でもないからね。それによく言われるほど儲かってない。自分一人でやってないから儲からないんだなとも思う。でもそれは自分一人ではできないことが分かっているからで、色々な人をまきこんで、色々な人の知恵を使っていくことが必要なんだよね。僕はそういう人をまとめていくキャプテンであり、司令塔であり、いろんなレバーを引いているわけさ。

だから僕はどうやらどちらかというと“ゼロを1にする”方が得意な人間なのよ。でも儲かるのは“1を9にしたり10にしたりする”人の方が儲かる。最初の立ち上げの苦労を踏ん張って、場を創ってあげれば、あとは勝手に走っていく。これを続けていればいずれいいことありそうだしさ。

そうですよね。ゼロから1で企画を作ってそれが実際に生き続けるわけじゃないですか。それがすごいですよね。

シブヤ大学なんかもそうだよね。発案から立ち上げるまではすごい大変だったけど、左京っていういい運転手を見つけてさ、「左京、走れ!」って俺がボタンを押したら発車したわけさ。今じゃ全然俺の言うこと聞かないんだけど(笑)。今までのプロジェクトも全部同じで、全部テキ屋制なのね。アガリはないんだけど。このシマはおまえがんばれみたいな。

収益のことを具体的にお聞きしたいと思います。収入って色々とあると思うんですけれども。

一番大きいのは区議会議員。あとは時々原稿を書いたりしていて、小遣いは入ってくる。だから今は区議会議員の給料はまるまる家に入れて嫁扱い。あとは入ってくる小遣いで俺は生活できてる。最初議員になったときは博報堂時代より実入りが下がった気がしたの。だって経費も使えないし、事務所も自分で構えなきゃいけない。そうするとやっぱり出る分が大きくてさ。「うえー」ってちょっと思ったことはあったけどね。

 

 


長谷部氏のインタビュー(第五号)は以上になります。

次号も引き続き長谷部健氏のインタビューをお送り致します。

みなさま、お見逃しなく!!

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Profile
Interviewie photo

渋谷区議会議員

NPOグリーンバード代表

長谷部 健 hasebe ken

1972年
東京都渋谷区生まれ
1973年
1歳で青空保育「おひさまの会」に入る やんちゃし放題。日々、全裸で代々木公園を走り回る
1976年
短髪好きの祖母のお蔭で坊主頭人生のスタート
1978年
渋谷区立神宮前小学校に入学。6年間無欠席の皆勤賞。皆勤賞欲しさに風疹のまま登校し、 クラスメイト中に 風疹を伝染させ、自分は日曜日にしっかり寝て治す
1984年
渋谷区立原宿中学校に入学。バレーボール部に入り、東京の一部に名を轟かす
1987年
佼成学園高等学校に入学 高校にバレー部がなく、野球部に入部するがすぐに辞め、柔道部に転部し、黒帯を取得
1992年
専修大学商学部に入学オージーボールを始め、日本代表として海外遠征を経験
1996年
株式会社博報堂に入社 自分なりにバリバリ働く
2002年
株式会社博報堂を退職
2003年
NPO「green bird」を設立 渋谷区議会議員選挙当選 現在に至る

詳しくは→ 

【ハセベケン事務所ホームページ】http://www.hasebeken.net/

【NPO グリーンバード】http://greenbird.jp/

【シブヤ大学】http://www.shibuya-univ.net/

【渋谷区議会】http://www.city.shibuya.tokyo.jp/
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シブヤミライ手帖

シブヤミライ手帖

シブヤを変えた男、ハセベケン。32歳で大手広告代理店をやめ、渋谷区議会議員にトップ当選! 
表参道をそうじするNPOグリーンバードの活動を基盤に、シブヤにジョーダンコートや子供の冒険遊び場、新デザインの灰皿その他を導入。スワローズやヴェルディとの提携を進め、地域通貨導入にアタックするなど、全く新しい形の政治家として活躍中。
そんなハセベケンという熱い男の生い立ち、NPOの活動の仕方、区会議員のなり方、そしてシブヤのミライを展望するビジョンと、1972年生まれ世代のもう一人のカリスマのすべてを語る一冊。イラストレーション・装丁は寄藤文平。