こんにちは!!
テトルの本村拓人です! !
今号からはNPO法人KOMPOSITION代表の寺井元一氏のインタビューをお送りいたします。
日本には数多くの表現者、無限の可能性を秘めた才能がある。
アート、スポーツ、そしてメジャーからマイナーまで。
幅広いジャンルの表現者達に、外部に開かれた活動場所を提供するNPO団体KOMPOSITION。あらゆる壁や公園を舞台に様々な活動を展開する事を自らの活動領域に定めてから約5年、寺井氏の考えはかつてと比べて確実に進化し、研ぎ澄まされていることは間違いない。
また、最近でこそNPOという社会変革装置が大衆に認知され始めてきてはいるものの、この未開の地、非営利セクターで活動することに魅力を感じている事は5年前となんら変わっていないはずだ。さらに、この5年間で得た経験を通して、さらに研ぎ澄まされた寺井氏の『現在』と『過去』にも迫ってみた。
『KOMPOSITION』を設立されるまでの経緯についてお聞かせください。
僕はもともと幼稚園くらいの頃から空想が好きだったんですね。小学校くらいの時から活字を読むようになって、江戸川乱歩とか読んだり、新聞を普通に読んだり、活字に親しむのが速かったんです。小5位から親父の書斎をあさりだして司馬遼太郎を読み始めました。
本の中にはヒーローがいるじゃないですか。司馬氏の幕末ものとか。自分と高杉晋作でなにをやろう、とか、自分と坂本竜馬とか、そういう空想を当時からしていました。
ヒーロー的存在への憧れ、自分もそういう風になりたいという気持ちがそれで生まれたんだと思います。でも先天的に網膜剥離があってスポーツができなかったり、治りにくいアトピーが発症したり、灘中に入ってから高校を卒業するまで6年間何をしたいのかわからなくなって落ちこぼれたりとか。そういう挫折みたいなものがあったんですね。
一方で高杉晋作とか河合継之助とか幕末のヒーロー達って、秀才タイプはあまりいないんです。学校に行っても、授業中は面白くないからと、後ろでボーっと雑談したりしていて。
ところが本質みたいなところはやたら鋭くて、「それって結局こういうことなんだ」みたいなことをザクっと言うんです。本質を見つめて常識をぶった切るこういう人たちが本当に賢いと思って、僕は彼らに憧れました。だからこのままダラダラ学生生活していて、なんになるんだという焦りはありました。それで結局勉強しない、なんていう悪循環にはまってましたね。
転機はいつだったんですか?
精神的には、高校2年のときにアトピーの関係で入院して、いろいろ病床で考えたことが大きかったです。あとは、その翌年に阪神大震災があったんです。家の中がぐちゃぐちゃになって、当日学校に行ったら体育館に遺体がだーって並んでて。灘高校は被害の中心地域にあったんですね。
そのとき人間には二通りの生き方があると思ったんです。災難がいつ自分に降りかかってくるかわからないから、冒険せずに安全に、おとなしくしてる方がいいっていう人生が一つ。もう一つは逆に腹がくくれて、人生はいつ何が起きるかわからない。ならば行くところまで行こうという生き方。僕はそのときに後者の考えを持ったんですね。今考えれば地震が僕の考えを後押ししてくれたわけで、変な感じですね。
大学時代には高校時代の親友の紹介で某代議士の事務所でボランティアスタッフをしていました。結局それは三年間続けました。けれども僕の中では政治のことを勉強しようと思って入ったのが、だんだん何かが違うと感じるようになったんです。
その中で大学四年の春ごろ、その議員の事務所で選挙用のプロモーションビデオを作る話が持ちあがって、僕が作ると手を挙げました。ちょうどそのときに友達と映画のサークルを作ったばかりで、プロモーションビデオはその仲間に呼びかけて三分ものの作品をつくったんですね。
そのときに僕は映像的な技術はないから1人では何も出来ないけど、色々な強みをもった仲間が集まって僕が調整役を買って出たことで、映像が実際に出来上がった。当時は仲間も大学4年ぐらいでみんな将来どうしようとか、夢をあきらめるべきかとか悩んでる時期だったんですけど、このビデオ制作を通じて、仲間の作品を発表する機会を作っていくらか応援できたと感じた。
僕はもともと世の中を変えたい、無駄な公共投資の予算をライブハウスやクラブや新規性のある文化的なところに回したい、とかそんなことを言ってたんですけど、それじゃ選挙に勝てないとか言われていて(笑)。ビデオ制作で得た感覚のほうが、世の中を変える可能性があると思ったんです。ある種のプロデュース業ですね。これがきっかけで政治の世界を離れていきました。
僕が政治から離れた頃、映画サークルの仲間が何かイベントをやりたいと言い出しました。文化系のアーティストとか、絵描き、カメラマン、ファッション関係だとかそういった人々をピックアップしたイベントをクラブでやったんです。
その企画に僕も入ってさっき話した代議士を呼んだら来てくれたりして、政治と自分たちの新しい関わりということで好評だった。それで、自分が本当にやるべきことは政治家ではなくて、何かと何かを繋ぐ位置に立って、同世代のチャレンジしている人間をサポートすることだと思ったんです。
このとき一緒にイベントをやった仲間たちと、後にNPO法人の母体となるサークルを作りました。自分達が楽しみながら社会的なメッセージを発信しようというコンセプトでイベントを主催したりしました。でも1年位活動したらみんな疲れちゃうんですね。
僕はこれを仕事にしていきたくて、仲間ともそういう話をしていたんですけれども、そのままでは食べていける見込みは立たなかったんです。それで僕はサークルのままではダメで、思いきって法人化して、事業にしなきゃと思ったんです。
法人化といっても、金儲けしたくて活動をしているわけじゃなかったので、会社にするには違和感がありました。それでサークルの仲間に呼びかけて、賛同してくれた一部でNPO法人をつくることに決めました。東京都から認証がおりてNPO法人格がとれたのが2002年10月です。これがいちおう、KOMPOSITIONの始まりですね。
当初は「若者の義務と権利の追求」を掲げていました。才能があるのに行き場がない若者が社会とつながってチャンスが生まれる、そのための活動が大切だとその頃から思ってたので。でも最初は事業もなにも無くて、仲間で協力し合って知り合いの会社に仕事をもらったり、何かを運んだり配ったりデータを入力したりということをしていました。
それから、理事に参加してもらっていた人間がやっていた六本木のオフィスに間借りするようになりましたが、彼が諸事情でオフィスをでることになり、いくらかお金がたまっていたので自分達の世代の溜まり場だろうということで渋谷に移りました。実質的なスタートはそこからですね。
渋谷でも何をやるか決まっていなかったけど、六本木のオフィスから出て行かなきゃいけなくなった理事も暇になって、もっと一緒にやろうということになり、街を歩き回っていたんですね。そうしたら落書き問題があった。落書きと言われる中にも色々あるんですね。なかにはグラフィティアーティストと呼ばれる人もいる。
そこで壁を清掃して彼らに絵を描ける場所を提供できたら街の人にとってもハッピーになるよねと思ったんです。それで町の壁をキャンバスにしようと。
早速行政に企画書を出したら、消すのはいいけど、描くのはダメって言われたんですね。じゃあとりあえず消すところから始めようというわけで、2003年10月末から宮下公園の壁の清掃をやっていて。それこそ毎週のように消して、消して、消しました。
それで今日も消してきましたって、いくどとなく渋谷区に伝えてたんです。消し始めて5ヶ月たった位で、区も一度描いてみなよって言ってくれて、それがリーガルウォールの始まりです。2004年の3月でした。
寺井氏のインタビュー(第一号)は以上になります。
次号も引き続きNPOKOMPOSITION代表、寺井元一氏のインタビューをお送り致します。
みなさま、お見逃しなく!!
*読者の皆様へ*
こんにちは!!駒崎さんの回よりインタビュー、文章の作成、編集を主に担当している田中 聡と申します。
昨年よりTETOLでのメルマガ事業に従事しています。社会起業家たちが持つ圧倒的なパワーや空気を、少しでも皆様に伝えられればと思います。今後もメルマガでは魅力あふれる社会起業家たちを紹介していく予定なので、楽しみにしていてください!
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NPO法人KOMPOSITION代表理事
寺井 元一 Terai Motokazu
- 1977年9月13日
- 兵庫県生まれ
- 1984年
- 父親の転勤で沖縄県那覇市に転居。3年間過ごす。網膜剥離発症。
- 1990年
- 私立灘中学に入学。落ちこぼれる。アトピー性皮膚炎発症。
- 1995年
- 阪神大震災に被災。ゼロから勉強をはじめる。
- 1996年
- 私立灘高校を卒業。1年間の浪人生活に突入。
- 1997年
- 早稲田大学政経学部に入学。学生時代3年間、代議士事務所で学生スタッフとして従事。WEBの企画立案などに関わる。
- 2001年
- 早稲田大学院政治学科に入学。若者の価値観と投票行動の関連を研究する。 同年、学生団体kompositionを設立。
- 2002年
- NPO法人komposition-standard(後にKOMPOSITIONに改称)を設立。
- 2004年
- 早稲田大学院政治学科を中退。のち、現在に至る。
- 詳しくは→
【NPOKOMPOSITIONホームページ】http://komposition.org/
【ALLDAY】http://alldaymag.com/
【LEGALWALL】http://legalwall.komposition.org/
【寺井氏個人Blog】http://d.hatena.ne.jp/teraiman/
本村拓人(もとむら たくと)
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壮大な野心を藩の運命に賭して幕末の混乱期を生きた英傑の生涯!
幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。藩の持て余し者でもあったこの男、河井継之助は、いくつかの塾に学びながら、詩文、洋学など単なる知識を得るための勉学は一切せず、歴史や世界の動きなど、ものごとの原理を知ろうと努めるのであった。さらに、江戸の学問にあきたらなくなった河井は、備中松山の藩財政を立て直した山田方谷のもとへ留学するため旅に出る。

